土器は 火の息子

土器は火の息子


「日本冒険」上(梅原 猛)

 火を発明した人類は、その火を使って様々なものを生み出した。一つは土器であり、もう一つは精錬の技術による金属器である。この土器、金属器の人類の生活を大いに変えた。

 普通人類史を考察する時は、石器時代から金属器時代へと発展した考える。石器時代をさらに、農業以前を旧石器、農業以降を新石器と区分し、その新石器の中から金属器文化が生まれたとする。そして金属器文化を、銅器かた鉄器へと発展したと考える。金属器文化の発展と言う点で世界史を考察すると、日本の文化は遅れているといわざるをえない。しかし本当に、紀元前三世紀頃に弥生文化――稲作農業を生産基盤にした、弥生土器、金属器、石器の複合文化――が移入されるまで、日本の文化は世界史的にみて大変遅れた文化に留まっていたのか。確かに紀元前7千年といわれる西南アジアに起こった農業文明という視点で見れば、日本は大変な後進国である。ユーラシア大陸のあちこちに既に、巨大な大都市を作り世界宗教を発展させ、文字と書物をもった農業牧畜文化が幾つも生まれていたのに、日本は依然として一時代前の狩猟採集文化の中に閉じ込もり、大都市も、世界宗教も、文字も、書物も、持っていなかった。

 金属器文明と言う点に於いても、日本は甚だ後進国であった。農業文明(弥生文明)の到来と共に日本に金属器文明がもたらされたと考えられるが、金属器文明発生から約2千年の遅れがある。しかも日本へは、既に金属器文明が完成された後に入ってきたため、銅器も鉄器も同時にもたらされた。そのため日本には青銅器・鉄器文明の区別がない。この二つの金属器は同時に日本へ入った為、日本では用途を完全に分けて使われる。美しい色をした荘厳な青銅器は祭祀用に、硬くて強い鉄器は工具や武器として用途を分けて用いられたらしい。確かに日本は農業文明、金属器文明から見れば、後進国と言えるかもしれない。しかし土器という点からみれば、日本は大変な先進国であったことがだんだん分ってきた。

 日本で発掘された最も古い土器は長崎県北松浦郡の福井洞穴遺跡から発見された土器で、マイナス一万二千年を数える。これは途方も無い数字である。何故なら、文明の発祥地と言われるメソポタミア地方で発見された最も古い土器はマイナス8千年といわれる。実に日本の土器と4千年の差がある。この土器の年代が最初、カーボン鑑定されたとき考古学者は誰もがそれを信じなかった。

 日本の土器をメソポタミアの土器より4千年も前に置くことは、とても非科学的なものとして思われたのであろう。メソポタミアから中央アジア、そして中国を経て、極東の島国に3千年かかって土器はやって来たとするのが、最も

合理的であると彼等は考えたのある。様々な科学的鑑定方法で、どの方法でも、マイナス一万二千年という数字は疑えない。そして日本各地には、マイナス一万年を超える土器が多く出土し続けている。最早日本の最も古い土器が、マイナス一万二千年であるという事実を我々は信じざるを得ないのである。

 この一万二千年前という時期は、氷河時代に於いて大陸と地続きであった日本が、気温が高くなり氷が溶けて海面が上層した結果、大陸から孤立したという時期とほぼ重なるのである。この日本列島の大陸からの孤立と縄文土器の出現との時間の一致は偶然なのか、それとも何らかの因果関係があるのか。海面の上層は今から5千5百年前をピークとしたらしい。現在の関東平野、河内平野や濃尾平野などはその頃、殆ど海であった。日本の各地では、昔はここが海であったと言い伝えが良く残っているが、それはそんなに古い話ではないのである。つまりそれは、5千5百年前頃の出来事なのである。

 私は日本人の深層心理のどこかに、“海”の拡大に関する不安感があるような気がしてならない。海は何千年の間にどんどん増えて、日本列島を大陸から切断してしまった。日本沈没の不安が当時の日本人の共通の不安ではなかったか。私はこういう不安が、縄文中期の祭祀用土器(縄文中期に最も栄えたと思われる地方は、諏訪湖沿岸を中心とする中部山岳地帯である。ここから出土する土器には奇怪な神秘主義がうかがえる。蛇や蛙やフクロウや、あるいは人間までが土器一杯に跳ね回るような不思議な形態・文様は高度な宗教的精神の燃焼と捉えることが出来る)には何か異様なエネルギーがある。そのエネルギーは恐らく、当時人々が感じていたに違いない海の増大による世界の終末の不安と関係があるのではないであろうか。

   土と木の思想

 火の神により第一に土器が、第二に金属器が人類の歴史に大きく転換させることになる。ヨーロッパでは土器の存在を認めず、世界史年表には石器時代から直ぐに金属器時代に移るわけである。だけど第一の土器も人類史において無視することの出来ない功績を果たしているのである。

 土器は金属器に比べて大変平和的である。土器の発明は直接、生産の発達につながらないが、生活レベルの向上という点で人類史における画期的変化をもたらした。まず食生活において大きく貢献する。其れまで人類は、食料即ち動植物を“生”のまま食べるが、火に直接、あぶって食べるより仕方が無かった。しかし、これでは料理の幅が広がらない。しかも生のものは腐りやすく、様々な病気の原因となる。直火で焼くと、芯まで火を通すことは難しい。しかし、土器の発明は、“煮る”“炊く”“蒸す”などの様々な料理方法を可能にした。幅が広がり、人類の食生活は飛躍的に豊かなものになった。

 縄文時代において、意外に植物性蛋白質の摂取の割合が多いのが分った。つまり、ブナ科の実ドングリ類が主食なのであった。そして副食に普通魚を食べた。魚の中でも川を遡って来るサケ、マスは特別容易に捕らえられるが、副食物として主要な役割を果たしたが、それは決して主食ではなかった。そして肉を与えてくれる獣は人間に最も喜ばれたが、それは特別の食べ物で、毎日食べられるものではなかった。

 日本の各地の山林を形成するクヌギ、シイ、ナラ、カシなどのブナ科の落葉樹は、縄文の頃よりその山を覆っていた自然林である。そこには人々の求めるドングリが実った。人はそれを採り、粉にして加工した。これが縄文人の主食である。

 土器は生産や戦闘には結びつかない、はなはだ平和な火の神である。その代わり生活を豊かにした。金属器は大変有能な火の神である。金属器の発明により農業は飛躍的に進み、それによって戦闘は著しく変化し、富は集中し、その富の上に立って軍事力を背景にした巨大な国家が生まれ、その巨大な国家を統治する世界宗教が生まれ、文字が生まれ、書物が書かれ、いわゆる大文明の時代がきた。

 このような巨大文明の発展が必ずしも金属器の発明の結果であるばかりはいえないが、少なくとも金属器の発明が、このような巨大文明の発展の一つの条件であったことは疑いえない。そして、ここに“生産”への信仰、“武力”への信仰が生まれてくる。金属特に鉄の時代と共に人類の歴史は生産中心の時代、或いは武力万能の時代へと移っていった。

 幸か不幸か、火の神である、金属器文明の到来の遅れた日本では、火の神の土器の時代が長い間、平和の時代を支えていた。実に一万年もの長い時間。生産よりも消費、戦争よりも平和共存の原理がそこにあった。消費文化はこの火の神・土器と共に、画期的に発展したと思う。そしてあの大陸に発生した大文明と違った文化が、勿論スケールにおいてあの農業牧畜文明のような巨大な文明ではないが、やはり精神的にはかなり高い平和で独自の構造をもつ文化が、ここに育ったと私は思う。

 つまり、日本の火の神は、金属器の神よりはむしろ土器の神とより深い関係にあったということである。

 日本の文化の根本に木の文化がある。縄文土器の“縄文”も木の精、木の生命力を土器に移すものであった。ドングリを主食とした縄文人は強い木への感謝の念を持って生きてきた。恐らくその気持ちは木の神崇拝まで高まったであろう。

 焼畑農業は日本の古代においても行なわれていた。しかし、私の疑問はその

規模である。私は焼畑農業は、狩猟採集の生活の一部分担っていたに過ぎないと思うのである。何故なら、日本では山は聖地である。森や林は食料の宝庫であり、また家屋を建てる用材や着物の原料(植物繊維)を与えてくれる木の神の坐す場所である。そういう聖なる場所、森林を、人々は焼畑のために簡単に焼き払えるものであろうか。焼畑は、日本人の持っている山や森に対する信仰と矛盾しないであろうか。何よりも、自然と共に暮らした縄文人が平気で自然を破壊するというようなことをするとは考えられないのである。

 火の神は、縄文の昔から現代まで我々の生活に生き続けている。ただ、かつてのような威力をもって、今も存在しているということは難しい。その力は衰えた。火種はもうそんな貴重なものではなくなった。家の囲炉裏の火は消え、其れと共に家族制度は大きく揺らぎ、火の中心に集まった父や母、祖父や祖母や兄弟や兄、妹は、もうバラバラになってしまった。“家”の崩壊である。どうも火はとてつもない大きな問題を抱えているようである。

「日本冒険」上(梅原 猛)