楓の樹と苗族

フウ(楓)の樹と苗族(みゃおぞく)

中国の少数民族

城頭山遺跡と苗族・楓香樹と棚田

貴州省台江県地方の苗族の
銀飾り。鳳凰の羽をかたどり、
太陽、蝶、龍などがあしらわれている。
羽人の逃亡
4.000年前と3.000年前の地球上の気候の寒冷化により、中国大陸では北方黄河流域の畑作牧畜民(漢民族の祖先につらなる人々を含む)が、数度にわたる大規模な民族移動による南下を行なった。この南下に伴い、長江流域で暮らしていた稲作漁撈民(苗族の祖先)は次々と南方へ雲南省、
貴州省などの山岳地帯、或いはベトナムから東南アジアへと移動していった。他方その一部はポートピープルとなって東シナ海に漕ぎ出し、一部は日本列島に漂着して新たなる稲作文化を日本にもたらしたと思われる。右下に示した鳥取県淀江町角田遺跡から発見された弥生時代の土器に描かれた絵は、舟を漕ぐ人の頭に羽飾りと思われるものを付けている。これと同じ図柄は雲南省の青銅器にも彫金されている。
やはり羽飾りの帽子を被った人が舟を漕いでいる。弥生時代の頃までは、長江流域から東シナ海一帯に鳥を崇拝し、羽飾りの帽子を被った羽人が、広く航海や交易を行っていたことを物語っている。
城頭山遺跡の想像図
中国南部にはこのようなカルスト地形がよく見え
特に、苗族などが多く住む湖南省、貴州省、雲南省東部にかけて多い。このカルスト台地からも石器時代の遺跡が発見されている。
初秋をむかえ、黄色く色づいた郊外の棚田。等高線どおりに無理なくつくられていて見事である。
”耕して天に至る”と形容したくなる棚田。数千年前から平地を追われ、山地へ移動を続けた苗族。山を切り拓き見事な棚田を作り上げた。 もともと稲作民族である苗族の村は、いたるところ水田となっている。
水田の中に林立する濾州柱(ろしゅうばしら) 水田に水を入れるための灌漑用の水車
苗族の生命樹であるフウの木
中国では楓香樹という)の大樹


日本では台湾原産で、街路樹によく使われている。紅葉が美しく葉はカエデに似ている。
フウ
  フウの木は、マンサク科の落葉高木で、中国では楓香樹という。中国南部が原産地である。フウの木は大きいものは高さ40m、幹の直径2m以上に達するものもある。晩秋、カエデの葉に似た大きな葉が紅く色づいては美しい。現在日本にあるフウの木は、江戸時代に中国から持ち込まれたものであり、皇居の吹上御苑には大木があるという。我々日常の街路樹は、台湾産が多い。アメリカフウ(モミジバフウ)は原産が北米。樹皮は灰白色で割れる。葉はカエデに似て嘗状、5〜7裂、互生。果実は直径4cmほどで垂れ下がる。街路樹に使われ、紅葉が美しい。
私の住む泉北の街路樹のフウの紅葉 私の住む泉北の街路樹のフウの紅葉

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   苗族と長江文明

   フウの木を建築部材に多用した城頭山遺跡の住人

  城頭山遺跡の城内から発見されたフウの木は、人々が選択的にフウの木だけを伐採し、城内に運び込み建築部材などとして多用したと見られる。

  それでは何故か。

  フウの木は材が柔らかく、当時の石器を使用する技術では伐採が容易であり、建築材としても加工しやすかったことがその一つの要因であることが明らかになった。それにしても、フウの木利用に異常にこだわった城頭山遺跡の人々は、フウの木と何らかの関係する文化を構築したはずである。

  それを類推させる民族事例があった。現在の中国の少数民族の中で、フウの木を民族の生命樹として崇拝し、自らがフウの木の子孫であるという神話をもつ民族が存在することが明らかとなった。それは苗族(中国国内の苗族の現在の人口は約740万人)であった。

  苗族は集落の中心にフウの木で造った蘆笙柱(ろしょうばしら)を立て、フウの木で作った木鼓で、お祭りの日には鳥の羽で着飾った衣装を着ておどる。

蘆笙柱。
伝統的な苗族の村の中央には広場があり、その中央に蘆笙柱が立っている。
蘆笙柱はフウの木でつくり、形は村々で少しずつ異なるが、柱の頂に木彫りの鳥がとまり、真東を向いて太陽を迎える。柱の中程に水牛の角或いは木彫りの首が飾られる。柱全体には龍が巻き付いているといった形のものが多い。

  司馬遷の「史記」には、かつて長江流域には三苗(さんびょう)と呼ばれる民族が生活し、たびたび漢民族と争ったと記されている。そして苗族自らも、かつては長江中流域に生活し、追われて山岳地帯に落ち延びたという伝承をもっていた。

  城頭山遺跡の出土した人骨を計測すると、全ての人骨が身長160cm以下と小柄であった。長江流域に生活する人々は、苗族を含め、中原(ちゅうげん)の人々よりも小柄であることは一般的である。こうしたことから城頭山遺跡の住人が苗族を含め、現在では少数民族として、雲南省や貴州省の山岳地帯でひっそりと暮らしている少数民族に近い人々であった可能性が極めて大きいのである。

苗族の祭り(苗年や鼓社祭)は、
必ず村の広場の中央に立てられた蘆笙柱の周りを回りながら行なわれる。男性は蘆笙を吹き鳴らし(次の写真)、女性は水牛の角や鳥の羽をかたどった銀飾りをまとって踊る。
苗年(苗族の正月で、秋の収穫祭を意味する)で、収穫を終えた田で蘆笙舞を踊る苗族の娘たち。蘆笙舞は祭りの間毎日行なわれ、一週間以上も続くことがある。稲作を生業としてきた苗族の農耕儀礼であり、生命の蘇りを意味するという。

銅鼓と鼓社祭
銅鼓(左)は苗族の聖なる楽器で、図柄は太陽
のコロナを示す。木鼓(右)は銅鼓の原型で、フウの木に水牛の皮を張って作る。今でも貴州省の黙東南地方では集落単位を「鼓」とよび、一族の団結の象徴としてきた。銅鼓は、苗年(苗族の
正月=秋の収穫祭)や鼓社祭になると取り出して
蘆笙柱に吊るして用いる。その鼓社祭では、蘆笙柱の周りで、若い男性たちが蘆笙を吹き鳴らし(上右)、女性たちは羽をかたどった銀飾りをまとって踊る(上の二枚の写真)。上の左は鼓社祭の
会場を埋め尽くした幟(のぼり)。
幟(のぼり)の図柄を一つ一つよく見ると、その洗練されたデザインが目を引く。
ちなみに、女性の銀飾りや、「百鳥衣」(下図写真)の図柄、水牛の背中にかけるロウケツ染め
(次の次の写真)など、何れも素晴らしく、苗族の
人々の祖先が高度な文化、文明を持っていたことが窺える。
鼓社祭のときに着て踊る「百鳥衣」の衣裳の
図柄。色の配色も又鮮やかである。
上と下右は鳥と蛇の合体、下左は蝶の幼虫を
表す。
鼓社祭と水牛
稲作を生業とする苗族に
とって水牛は最も重要な家畜である。祖先たちの魂は
はるか東方の地(民族の故郷)に暮らすと信じる苗族は、
各村で13年に一度、鼓社祭を開催し、水牛を犠牲にして
東方の地に送り届ける。
写真はその鼓社祭の会場に入場する水牛。水牛の背には美しいロウケツ染めの布が掛けられており、中央に太陽、その両側に蝶の幼虫を配する。


水牛の背には美しいロウケツ染めの布が掛けられており、中央に太陽、その両側に蝶の幼虫を
配する。
左の写真は、やがてその水牛は、フウの木にくくりつけられ犠牲にされる。

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