国宝「縄文のビーナス」と「仮面の女神」の土偶

    国宝・土偶「縄文のビーナス」(茅野市尖石考古資料館所蔵)

   昭和61年、茅野市米沢の棚畑遺跡から出土し、平成7年に国宝に指定されました。凡そ、4500年前の日本で最古の国宝です。

   当時の土偶に対する感覚は遥かに超越した美しい曲線、研き上がられた肌、洗練された造形美は市民に異常な興奮と感動を与え、「縄文のビーナス」と呼ばれるようになりました。

  土偶は人為的に壊されたと言われますが、この土偶が完全な形で出土したこと、しかも背丈27cmと言う群を抜く大きさである事、又、全身に金色に輝くウンモがちりばめられている事から考えても余程特殊な儀式や祭祀に使われたものと思われます。

  下半身の造形は特に豊満に誇張され、明らかに妊娠状態を表現し安産と子孫繁栄の祈りが込められているようです。素朴で大胆、安定感のある表現です。頭部は冠をつけたような表現で、繊細で丹念に文様が施されております。具象と抽象の調和、合理性を超越した心憎いばかりの表現です。

   切れ長い目、遠慮がちな小さな鼻、耳のピアス、あどけなく開けられた口がなんとも愛らしい。その表現は実に素朴で柔和です。縄文人たちはこの土偶にどんな思いで接し、何を祈り願ったであろうか。(茅野市HPより)

     国宝・縄文のビーナス(土偶)

  棚畑遺跡は、米沢埴原田の工業団地の造成に伴い、昭和61年に発掘され、祖市内でも最大規模の遺跡です。 この遺跡からは、縄文時代の前期から江戸時代までの生活の跡が見つかっている。特に今から約4000年から5000年前と言われる、縄文時代中期については、この土偶をはじめ、膨大な量の優れた資料が出土しました。発見された住居跡は150軒以上、完全に復元された縄文土器は600点にもなります。

  縄文時代の集落は、何軒かの家がお祭りなどに使う広場を中心にして環状に作られますが、この土偶もその広場の中の土抗と呼ばれる小さな穴の中に横たわる様に埋められていました。

  全体像は下方に重心がある安定した立像形で、全長は27cm、重量は2.14kgあります。頭は頂部が平らに作られ、円形の渦巻き文が見られることから、帽子を被っている姿とも髪型であるとも言われています。文様はこの頭部以外には見られません。

  顔はハート形のお面を被ったような形をしています。切れ長の吊り上った目や、尖った鼻に針で刺したような小さな穴、小さなおちょぼ口などは、八ヶ岳山麓の縄文時代中期の土偶に特有の顔を持っています。又、耳にはイヤリングを付けたかと思われる小さな穴が開けられています。

  腕は左右に広げられて手などは省略されています。又、胸は小さく摘み出されたように付けられているだけですが、その下に続くお腹とお尻は大きく張り出しており、妊娠した女性の様子をよく表しています。

  全体のつくりは、主な骨格となる部分を組み立てて、それに幾つかの粘土塊を肉付けするように丁寧に作られています。表面はよく磨かれて光沢があります。又、粘土は雲母が混じっており、金色に輝いています。焼きは一部甘いところがあり、右足には表面がはがれ落ちていたところがあります。けれど、一般に見られる壊された土偶とは異なり、完全な形で埋められたものであることは明らかです。

  この土偶は、八ヶ岳山麓の土偶の特徴と造形美を合わせ持ったことや、当時の精神文化を考えるためにも貴重な学術資料であることから、平成7年に国宝に指定されました。(尖石縄文考古館HPより)

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     仮面の女神

  「仮面の女神」の愛称をもつこの土偶は、茅野市湖東の中ッ原遺跡から完全な形で出土した、全長34cmの大型土偶です。顔に仮面をつけた姿を思わせる形であることから、一般に仮面土偶と呼ばれるタイプです。今から約4000年前の縄文時代後期前半に作られました。

  遺跡のほぼ中央にある、お墓と考えられる穴が密集する場所で、穴の中に横たわるように埋められた状態で出土しました。右足が壊れた胴体から外れていましたが、これは人為的に取り外したことが明らかになりました。お墓に一緒に埋葬されたものか、或いはこの土偶だけが単独で埋められたものかは、埋まっていた土の分析など、今後の研究を待たねばなりません。

  「仮面の女神」の顔面は逆三角形の仮面が付けられた表現になっています。細い粘土紐でV字形に描かれているのは、眉毛を表現しているのでしょうか。その下には鼻の穴や口が小さな穴で表現されています。体には渦巻きや同心円、たすきを掛けたような文様が描かれています。足には文様はなく、よく磨かれています。この土偶は、土器と同じように粘土紐を積み上げて作っているため、中が空洞になっています。こうした土偶は中ッ原遺跡の「仮面の女神」と似た土偶は、長野県辰野町新町遺跡や山梨県韮崎市後田遺跡で出土しています。どちらも20cmほどの大きさであることを考えると、この土偶がいかに大きいかが分かります。(尖石縄文考古館HPより)

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