八ヶ岳西南麓・茅野市 山梨県

    八ヶ岳 やつがたけ 

   長野県と山梨県の県境にある、赤岳(2899m)を最高峰とする八ヶ岳連峰の総称。一般に八ヶ岳という場合、編笠(あみがさ)山(2524m)、権現岳(2715m)、赤岳、阿弥陀岳(2805m)、横岳(2829m)、硫黄岳(2760m)、天狗岳(2646m)などの山列をさす。八ヶ岳中信高原国定公園にふくまれる。


   阿久遺跡 あきゅういせき 

  長野県諏訪郡原村にある縄文前期の集落遺跡。前期中ごろの大きな環状集石群が発見されて注目された。八ヶ岳西南麓(せいなんろく)のゆるやかに傾斜する標高900mほどの尾根上にある。尾根の幅は最大で200m。原村の北には茅野市の尖石遺跡、南には富士見町の井戸尻遺跡群など、周辺には縄文中期を中心とする大遺跡が存在する。

  1976〜78年(昭和51〜53)、中央自動車道の建設にともなう発掘調査がおこなわれた。集落は縄文前期全般にわたっていとなまれているが、とくに発達するのは前期前半から中ごろである。前期前半には、64基の竪穴住居がたてられ、径100mほどの環状集落を形成している。中央には、径約60mの広場があり、そこに方形柱穴列や土坑がならぶ。方形柱穴列は、この遺跡ではじめて注目をあびた遺構で、直径約1m、深さ約1mの柱穴を、1辺に3〜5カ所ずつ方形に規則ただしくならべている。そこに太い掘立柱をたてて高床建物などにしたか、柱祭りなどにつかったと考えられ、祭祀(さいし)用とみられている。

  前期中ごろには、住居数が減少するのに反し、中央広場には集石群と土坑群が多くつくられる。集石群は直径1m、深さ30cmほどの穴に拳大(こぶしだい)の礫(れき)をつめたものが、まとまりをなしながら271基、120m×90mの環状に配置された巨大な遺構である。

  環状集石の内側からは、土器や立石を埋設した約780基の土坑墓があり、集団墓地と考えられる。広場の中心には、長さ120cmほどの角柱状の立石と、8個の盤状の列石が直線的にならんで配置され、ここからは祭祀用の浅鉢形(あさばちがた)土器が出土している。

  縄文前期のほかに例をみない大集落の発掘にともない、調査2年目から長野県考古学会を中心とする学術団体や市民たちによって遺跡の保存運動が展開された。その結果、調査した遺構はうめもどされ、そのうえを土盛りして道路を開通する保存措置がとられた。1979年に遺跡全域が国の史跡に指定された。



   茅野市 ちのし 

    長野県中東部にある都市。八ヶ岳西麓の高原リゾートとして知られる。1955年(昭和30)ちの町、宮川村、米沢村、豊平村、玉川村、泉野村、金沢村、湖東村(こひがしむら)、北山村の1町8村が合併して成立した茅野町が58年に市制施行。面積は266.41km2(一部境界未定)。人口は5万4884人(2003年)。



    北部の蓼科高原は高級リゾート地の草分けで、温泉やスキー場にめぐまれている。白樺湖の周囲はホテルや土産物店がたちならぶリゾートタウンで、周辺の観光拠点ともなっている。横谷渓谷に沿って奥蓼科温泉郷もある。八ヶ岳山麓には縄文中期の大遺跡が多く、尖石遺跡は国の特別史跡、上之段石器時代遺跡と駒形遺跡は国の史跡で、棚畑遺跡(たなばたけいせき)から出土した「縄文のビーナス」といわれる土偶は国宝である。また、新たに中ツ原遺跡から出土した大型仮面土偶も注目されている。


棚畑遺跡出土の土偶
縄文中期の棚畑遺跡から出土したこの土偶は「縄文のビーナス」の愛称で名高く、集落中央の小さな穴に完全な形でうめられていた。妊娠しているようなおなかをした豊満な下半身には、縄文人の豊穣をねがう気持ちが表現されているといわれ、世界各地の古代遺跡からみつかる地母神の一種と考えられる。高さ27cm。国宝。

   尖石遺跡 とがりいしいせき 

   長野県茅野市豊平にある縄文時代(→ 縄文文化)中期の集落遺跡。八ヶ岳山麓(さんろく)の標高1050mほどの高所に位置する集落遺跡として貴重なものである。遺跡内に直立する安山岩の三角錐状の岩が遺跡名の由来となった。発掘調査により、隣接するほぼ同時期の与助尾根遺跡(よすけおねいせき)とあわせて60をこす竪穴(たてあな)住居跡が発見された。住居内からは石囲い炉跡が50以上みつかり、大量の土器、石器なども出土した。最近は両遺跡をあわせて尖石遺跡とよぶことも多く、両遺跡からの出土品を展示する茅野市立尖石考古館がある。



   諏訪盆地 すわぼんち 

   長野県中央部にある盆地。諏訪平(だいら)ともいう。北西から南東にのびた紡錘形の構造性盆地で、中央に諏訪湖が位置する。狭義には諏訪湖周辺の沖積低地をさすが、広義には蓼科山や八ヶ岳山麓(さんろく)の山浦地方をふくむ。諏訪市、岡谷市、茅野市などが属し、県内有数の人口密集地域となっている。

   糸魚川・静岡構造線上にできた断層盆地で、平坦地は湖岸周辺にかぎられている。盆地底の標高は諏訪湖の湖面標高759mを最低に、山浦地方の約1300mまでおよび、全体的に高い高度に位置している。気候は内陸型をしめし、夏の暑さとは反対に冬の寒さはきびしく、年間を通じて降水量は少ない。

   信濃国の一宮である諏訪大社が鎮座し、古くから信仰の地としてさかえていた。諏訪大社の上社と下社の所在地から、盆地の北東部を下諏訪、南東部を上諏訪とも称した。近世は諏訪氏の城下町、中山道と甲州道中のであう宿場町として発展し、下諏訪温泉と上諏訪温泉がわく温泉地としても知られた。明治期におこった製糸業は盆地一帯を日本一の製糸工業地帯に変貌させたが、第2次世界大戦後はカメラや時計、OA機器などの部品を製造する精密機械工業に転換し、「日本のスイス」という異名をもつ。寒冷な気候を利用した寒天、凍豆腐の生産ほか、味噌や清酒の醸造など伝統産業も現在につたわる。山浦地方は高冷地野菜の栽培とともに、別荘地開発が盛んである。


    蓼科高原 たてしなこうげん 

  長野県中部、茅野市の北東部を占める高原。蓼科山南麓(なんろく)から八ヶ岳北西麓にかけて広がり、標高1100〜1600mの間に位置する。八ヶ岳中信高原国定公園の一中心となる、日本有数の高原観光地である。

  シラカバやカラマツの林間にホテルや旅館が密集する近代的な観光保養地である。スキー場やキャンプ場、ゴルフ場などのリゾート施設もととのい、別荘地として開かれた地域も多い。東方にそびえる横岳山頂の坪庭までロープウェーが通じ、溶岩台地上のハイキングがたのしめる。蓼科高原美術館やマリー・ローランサン美術館(→ ローランサン)、蓼科アミューズメント水族館、縄文遺跡館などの文化施設も立地する。灌漑(かんがい)用につくられた人造湖の蓼科湖では、ボート遊び、ヘラブナやニジマス釣りができる。

  蓼科湖の西方にちらばる親湯(しんゆ)、滝ノ湯、蓼科の温泉群は蓼科温泉郷とよばれ、渋川沿いの渋、明治、横谷などの温泉群は奥蓼科温泉郷と総称される。古くから存在が知られた温泉地で、武田信玄の隠し湯であったとの伝承がのこる。露天風呂や打たせ湯など趣向をこらした設備もあり、温泉を利用したプールもある。

   八千穂村 やちほむら 

  長野県中東部、南佐久郡の村。西は茅野市に接する。八ヶ岳山系縞枯山(しまかれやま)の北東麓(ほくとうろく)に広がる八千穂高原上にあり、東部を北流する千曲川をはさんで、東は関東山地の山並みにつづく。1956年(昭和31)に畑八(はたや)、穂積の2村が合併して成立。面積は66.02km2(一部境界未定)。人口は4893人(2003年)。

  村域の約70%を森林原野が占め、千曲川流域を中心に耕地が広がっている。高原野菜、花卉(かき)、畜産などが主たる産物だが、農用地は年々減少している。一方、シラカバの純林、渓流などの大自然にめぐまれて観光開発がすすむ。とくに西部は八ヶ岳中信高原国定公園にふくまれ、夏は登山やキャンプ、ハイキング、冬はスキーにおとずれる人も多い。JR小海線八千穂駅近くには第2次世界大戦中から戦後の一時期疎開していた現代日本画家の奥村土牛の作品を展示する奥村土牛記念美術館や、佐久地方の酒造を紹介する酒の資料館などの文化施設がある。八千穂駅から八千穂高原を経由して茅野市方面に通じる国道299号はメルヘン街道の愛称をもち、小海町との境にある白駒池(しろこまのいけ)付近には原生林がのこっている。


    佐久町
 さくまち 

   長野県中東部、南佐久郡北部の町。東西に長い地形をしており、東は関東山地の山々の尾根で群馬県と接し、西端には八ヶ岳の横岳がそびえ、茅野市、佐久市に接する。千曲川が北流する町域中央部は平坦地が広がるが、山林が町面積の半分以上を占める。1955年(昭和30)に栄と海瀬(かいぜ)の2村が合併して町制施行、翌年に大日向村(おおひなたむら)を編入した。面積は122.11km2。人口は8692人(2003年)。

  花卉(かき)や果物、高原野菜などの農業が主産業である。とくに花卉は以前はキクが中心だったが、バラやカーネーションなど多品種化がすすむ。果実ではリンゴのほかプルーンを栽培する。古谷渓谷(こやけいこく)や乙女の滝など景勝地のある東部は妙義荒船佐久高原国定公園、西は八ヶ岳中信高原国定公園にふくまれ、これらのめぐまれた自然を生かした観光事業もいとなまれている。

  東部をながれる千曲川の支流抜井川(ぬくいがわ)中流域左岸には、1986年に土製の簪(かんざし)の発見で注目された縄文早期の後平遺跡(うしろだいらいせき)がある。また、川沿いにすすむ武州街道は十石峠をこえて秩父まで通じ、室町時代から佐久の米の輸送や三峯神社への参詣者(さんけいしゃ)に利用されていた。1884年(明治17)の秩父事件の際には困民党が敗走した道でもある。

   南牧村 みなみまきむら 

  長野県中東部、南佐久郡南西部の村。西は八ヶ岳連峰を境として茅野市に、南は山梨県に接する。大月川、湯川、高石川などの川をあわせて千曲川が東部を北流する。東半分を占める野辺山高原などにより平均標高1200mの高原の村である。1889年(明治22)に海尻(うみじり)、海ノ口、大明(だいめい)、広瀬、平沢の5村が合併して成立。面積は133.10km2。人口は3512人(2003年)。

  第2次世界大戦後、復員者などにより開拓のすすんだ農場で、キャベツやレタスなどの高原野菜を栽培するのをはじめ、中央部の海ノ口牧場では酪農など大規模農業を実践する。1935年(昭和10)に全通した当時、関係市町村の開発を促進した現JRの小海線は、今は高原列車の愛称で観光資源のひとつにあげられる。野辺山駅の標高約1346mはJRの駅としては最高地点。駅の南には、53年に日本で最初に先土器時代終末期の細石器文化の存在が確認されたことで知られる矢出川遺跡(やでがわいせき)や、国立天文台野辺山がある。また国の天然記念物の八ヶ岳キバナシャクナゲ自生地もみられる西部は、八ヶ岳中信高原国定公園に属する。別荘地開発がすすみ、南部の飯盛山(めしもりやま)にハイキングコースやスキー場が設営され、南隣の清里につづく高原のリゾートとなっている。中心地区では海ノ口温泉がわく。




八ヶ岳連峰
野辺山高原からみた八ヶ岳連峰。最高峰は南八ヶ岳の赤岳で、標高は2899m。裾野(すその)の高原地帯では、近年、キャベツをはじめセロリ、レタスなどの高原野菜の栽培が盛んで、一面の野菜畑が広がっている。